誕生日までもうそんなに遠くないよなとか
毎年言うけど本当はもっと大人になってるはずやったとか
二年前は歯が欠けた日やったとか
大人にはなれてないけど妙なサバイバルスキルに磨きがかかったなとか
ぼんやりしてたら忘れるところでした。おねだりリスト!
でも最近あまり欲しい物がなくて困ります。
夏場は指輪以外アクセサリー着けれないし、年明け過ぎに引っ越す予定やから大物はちょっと。


オーダーメイド枕とかかな(いま以上快眠してどうする)
そういえば化粧ポーチ等の小物類(ちょっとまめまめし過ぎやしないか)
ちょっといい日傘(傘系は色々リスキー)
応援してるJリーグチームのスポンサーによる、チームコラボデニム(にまんえん)


いっそのこと、ちょっといい文房具とかもありかな。リフィルを替えて使える手帳とか。
探してみよう。

もちろん家族のきずなとか育ててもらった恩を考えたら当然なんやろうけど
たまたまライフプランニングが苦手な両親のもとで生まれ育ったら
自分が稼いだ分から両親への仕送りが必要になってくる。
となるともちろん使える額が減る。子供がいればかけてあげられるお金が減る。


それが直接学力とかに結びつくかはその子自身の努力にもよるやろうけど
どこかで多少無理してでも踏ん張らないと、またその子供に養ってもらうことになり連鎖が続いて行くのかもしれない。
海外みたいに生まれた家の階級によってどうなるかほぼ決まってるという程ではないにしても
日本の美徳がどうのこうのと、桁違いの金額を稼いでいる人達から言われると悶々とします。


自分の努力だけで何とかできるというのは親に感謝しないといけない気がしてきました。
仕送りすることが決まってたら多分自分のライフプランニングはかなり緊縮策だらけになると思います。
ただでさえ奨学金とかあるというのに。

そうなることが悪いとは思っていませんが、私もいつかそのうち
美少年や韓流スターに目がない感じになるんかなぁ。
周囲が怒涛の勢いではまっていってるのを見ると、レールが敷いてあるようにすら見えます。


美形は特に一定の条件を持ってる人は過去の経験上苦手ですが
歌う人は歌自体やダンスがうまければ好きになります。
それでも外国人やとこの国の人の声の出し方は大体似た感じやなと思ったり
つまるところ全体としてこういう雰囲気なんやなと思うとそれで満足してしまう。
あと、自分が分からない言語を聞き続けるのが少し苦痛に感じることがあります。
最終的にはそれにプラスして、熱狂的な人の勢いに引いてしまうのが一番大きいのでしょうが。


美形の話はよくあるあれです。昔の彼氏にそれに該当する人がいてもう懲りたというやつです。
特に甘めのルックスで末っ子気質な人はもう本当にこりごり。
会って話したこともないのに、こいつら絶対人を振りまわすタイプやと本能レベルで判断してしまいます。
それくらい、辛かったことを繰り返すのが嫌なのです。
少なくともプライベートで教訓にしかならない苦痛を味わい続ける必要なんてないと思ってます。

ハイク

今自分に向かっているわけではなさそうな同調圧力というか
空気を読んでね的な流れは、見る度にいつ自分に向かってくるのか分からなくて怖い。
そもそも言ってる人との相性によっては自分が気付いてないだけで
言われてるのは自分という可能性だって十分ある。


自分は何も他人を不愉快にさせているつもりがなくても
人の何気ない言葉が無性に気に障ることはあるやろうし
いつかどこかから金槌でガツーンみたいなのが来るのではないかと思うことがたまにあります。


もちろんそこで察して引いたり、万人受けして盛り上がるネタ以外を避ければいいのやろけど
プライベートでしてるはずのことでそこまで不特定多数の目を気にして神経を使う必要があるのか
自分の中では疑問に思うことが多いです。


そして私は少なくとも一つ、明らかに特定の人から誤解を受けても仕方がないことをしてる。
取捨した結果がその行動になってしまったけど、これは私の中では引っかかり続けていて
もしかしたらハイクにはタイムリミットを設けた方がいいのかもしれないと思うことがあります。
例えば分かりやすく、30歳になったらやめるとか。


ただ、ハイクで出会った人達はとても好きやし、本当に色々助けてもらっているので
そんなにスッパリ切ってしまいたくないから、別のアカウントを公表してブログで続けるなど
別の道を考えるのがいいかなという今のところの結論。
確か前にも書きましたが、残念ながらずっとハイクを続けることはできないと思ってます。
その役割を、TwitterFacebookmixiTumblrに求めて行くのかはまだ考えていません。
今のところそれらには、圧力的な物を感じていません。

ポワロを観たい。読むのでもいい。

先月買う買うって言ってた雑誌を結局買わなかった…。
参考にしたいなと思うようになってきたのが、季刊程度の雑誌という。


あと、悩んでた靴はTOMSにするかも。
買った分だけ発展途上国の子供に靴が贈られるらしい。
こういうシステムには賛否があると思いますが
どこに寄付をしたらいいのか分からないし、少し気が引ける人間にとっては
買い物を通してそういう活動に関われるというのは、気軽でありがたいです。

来月大阪、京都に行くことになり、泊まらずすごす大阪のことを考える。
そうするとなぜか遊びのことしか浮かんでこない。
大阪に住んだのは社会人になってからで、仕事もしてたはずやのに。
でも今に比べるとはるかにふらふらと遊んで回ってたなぁ。


もう当時のように当てもなく本屋やCDショップに立ち寄って
立ち読みや視聴を繰り返すことはほとんどなくなったけど
基本的な姿勢はあまり変わってないと思います。


お金のことをちゃんとしようと思うのは、定年退職することになった時点から
平均寿命のあたりまで楽しく生活しようと思うにはいくら必要か調べて
今どこまでを貯めないといけなくて、どこまで楽しむために使えるのか知りたいから。
働くことができない状態になってからお金がないなんてことにはなりたくないし
それでも今を楽しめなかったら本末転倒やし。
ほんま、お金にも働いてもらわなあかんから、色々勉強しないと。あと資金作り。

充実した日々、前向きな気持ちは、どこからともなく降ってくる物ではなく
自分にとって快適な状態が何かとか、必要以上に背伸びしないで手に入る物が何か
見極めて近づこうとしていった結果なのかもなぁと思うなど。
私は今までずっと受け身やったけど、転職引っ越し色々なイベントを通して
やっと自分で歩くというのがどういうことか分かりかけてきた気がします。


自分を幸せにするのは自分。
誰かと一緒にいるというのは、幸せを倍にしたり、辛いことを半分にすることなのかな。


ただ、調子のいい時は人がどんどん集まってくるけど
大事なのは調子の悪い時に誰がそばにいるかだという言葉を聞いたことがあるので
まだまだいろんな経験を積まないといけないということなのやと思います。
あまり辛いことは経験したくないけどなぁ。